2009年6月15日月曜日


サンディエゴからの電話(20090615

 アメリカのサンディエゴに住む男の友人から電話がかかってきた。いつものように男の女房がその電話を取った。「ハーイ○○さん、ハウアーユー、・・・・、ファイン、サンキュー、・・・・、ジャストアモーメント」と言って男に電話器を渡した。

 その友人は男と同じ年の19xx年生まれでお互い誕生日も近い。スエーデンからアメリカに渡ってきていたEはユダヤ人のLと知り合い結婚生活を送っていたが、20年前その夫・Lを前立腺がんで亡くしサンディエゴの郊外で犬や猫や小鳥たちと一緒に独り暮らしをしている。

 男とEの亡夫・Lとは男の上司であり友人であるという関係にあった。年は男より上だった。男もその友人が前立腺がんの手術を受けた翌年同じ前立腺がんで手術を受け、男は今日まで生きているが、彼の方は手術の3年後に他界してしまった。他界する1年前、男は出張でアメリカに行き、彼と会ったのが最後であった。ロスアンジェルスのレドンドビーチのレストランの前で二人並んでいるのをEが撮った写真が男の手元に残っている。そのLのハニー・Eが今男の友人となっている。EとLは現役時代よく男の家に遊びに来ていた。ある時は彼と瓜二つの息子、彼女にとっては義理の息子を連れて来たこともあったし、彼女の姉がスエーデンからやってきたとき、その姉を連れてきたこともあった。勿論、男と女房も横浜の山手にあった彼の家に呼ばれたり、何度かアメリカ大使館のレストランでの食事に招待されたり、男の小さなホンダ車に一緒に乗って神奈川や群馬の田舎の方にドライブに連れて行ったりしたこともあった。

  2年前の夏、男と女房は彼女の家に4日間滞在した。そのとき朝の犬の散歩の道で満開のジャコランダの花を観た。昨年の春今度は彼女が我が家に7日間滞在した。男は女房と二人で彼女を東京近郊のあちこちに連れて行き、満開の桜の花を見せてやった。

 久し振りの彼女からの電話は、今ジャコランダの花が満開であり、2年前を懐かしむ話であり、相変わらず彼女にとっては家族である犬などの話のほか、男と女房の日々の暮らしをあれこれ問うものであった。老齢の女、しかも故国スエーデンを離れ、独りさびしくアメリカに住んでいる女にとって、ダーリンであった亡き夫Lと過ごした数年間はとても大切なものであるに違いないと男は思う。男はときどき日本語で相槌を打ちながら、彼女と会話した。

  男は相手がアメリカ人であるし、女房もよく知っていて気心もよく分かっている人であると思っていたので、彼女が10日間わが家に滞在することは左程大変なことと初めは思っていなかった。もともと10日間というのは彼女の希望であった。ところがその10日間は男の女房にとってはとても大変であった。それでも女房は忍耐強く彼女の日本滞在が最高のものになるようにと、最後まで変わらずいろいろ気配りをしてくれた。

  同じ屋根の下に男一人と女二人が、たとえ一方がアメリカ人であり、10日間という短い期間であるといっても一緒に暮らすということは緊張が伴うものである。男は初めそのことを微塵にも予測していなかった。男は女房のことを気遣いながら、いろいろ女房の家事を手伝った。その時、そのアメリカ人の彼女は食事の後片付けをして女房に手伝っている男を観察して「キッチンボーイ」と言った。その時以来食事の後片付けは自分の仕事として、男はそのキッチンボーイをよく務めている。