2010年11月26日金曜日

40年の歳月(20101126)


  今朝、自分の部屋のベッドの中でテレビを見ていて、起きてきた女房が「今朝、テレビで三島由紀夫のことを放送していましたよ。今日が40年目の命日だって」という。男は作家とか芸術家は、時代を予見する力があるのだ、そのとき一般の人々はその方々の言動を理解できないのだ、と思った。

  40年前、男は33歳であった。そのころ男は制服を着て四ツ谷駅で切符を買おうとした時、窓口の係員から「税金泥棒!」とののしられたことがあった。それでも男は「百年兵を養うは、 これ、一日、用いんがためなり」という孫子の言葉を知っていて、駅員のののしりを悔しく思いはしたが、別に怒りもしなかった。

  今、時代は様変わりし、自衛隊(男はこの言葉が嫌いである。歩兵を「普通科」と言ったり、「工兵」を「施設科」と言ったり、ズバリ物事を言うことをできるだけ避けようとする姿勢に怒りを覚える。)は国民の間にようやく認知されてきている。日本国民はアメリカ主導の「日本人の魂」を抜く戦略にまんまとはまり、東京裁判の結果、日本が侵略国家扱いにされてもそのまま受け入れ、明治以来の父祖たちが血を流して築いてきた日本国家を忌み嫌って今日まで来てしまった。

  三島由紀夫はそのような状況を変えたいと思い「檄文」を発表し、陸上自衛隊東部方面総監室内で、方面総監の見ている前で、武士の作法にのっとり見事割腹し、介錯人がためらって三太刀ほどでようやく彼の首を刎ねたという事件があった。

  三島由紀夫の行動について、リベラリストたちは一様に「三島由紀夫の‘男の美学’である」と喧伝した。例えば筆者が誰か分からぬが、ある人は三島由紀夫の『憂国』を評して「三島由紀夫は、人間はどうあるべきか、あるいは、人間はどうするべきかというような‘べき論’を持ち出したかったのではないと感じた。三島由紀夫が描いたのは、‘もはや死ぬしかないと思って実際に死ぬ人間の美しさ’ではないかと思った。‘もはや死ぬしかないと思って実際に死ぬ人間’を‘美しい’と感じているのは誰だろうと考えてみた。それは、三島由紀夫自身だろうと思った」などと言っている。

  しかし、23日、北朝鮮が韓国の住宅地を砲撃し、兵士も民間人も殺すという暴挙に出た。このとき我が国の政府の対応は非常にのんびりしたものであった。そのことが今国会で、若い世代の議員たちによって追及されている。

    この国の概ね60代以上のリーダーたちはマインドコントロールされてしまっていて、憲法前文の文言「諸国民の公正と信義」にひたすら頼っている状況である。相手が事前に作戦計画を持っていて、命令あり次第直ちに具体的な実施計画を立てることができる状況で核ミサイルの照準を我が国に向けている状況下、もし実際にその作戦計画が実行されようとする兆候があり次第、我が国が直ちにこれに反応する態勢を持っていないと危険である。

    24時間体制で、尖閣諸島など我が国の領土・領海・領空の警戒監視を継続している自衛官(男は‘兵士’或いは‘軍人’と言うべきであると思っている)や海上保安官たちが悲しい思いをしなくてもすむように、この国のリーダーたちには心を入れ替えてもらいたいと、男は切に願っている。