2012年5月5日土曜日


発掘された人骨から復元した原日本人の顔立ち(20120505)

遺跡から出土した人骨から復元された原日本人の顔立ちである。写真画像は『Newton 最新版 日本人の起源』より引用し、切り抜いて貼りつけたものである。


    
上の写真は左から順に縄文人、渡来系弥生人、古墳時代人の顔である。


① 縄文人男性




② 縄文人女性




③ 渡来系弥生人男性





④ 渡来系弥生人女性




* 「渡来系弥生人」は、現在の韓国・北朝鮮人の先祖ではなく、最新の科学・考古学の知見によれば、長江中流域にいて黄河文明より1000年古い文明を築いていた稲作・漁労の人々が、気候の変動により北方から南下してきた畑作・狩猟の人々から圧迫を受け、四川省の山岳部に逃れたり、長江河口から北上し山東半島から朝鮮半島南部に渡り、日本の北九州に渡って来、或は舟で沖縄・九州南部に渡って来た人々であると考えらている。
  
   

⑤ 古墳時代男性




⑥ 古墳時代女性




皇室の祖先は古墳時代人である。津田左右吉・江上波夫・上垣外憲一・吉田敦彦ら東大歴史学者たちが我々日本人に誤った歴史観を誘導しているしか思えない。彼らは天皇家は朝鮮半島にルーツがあるなどと言う(言わなくても結果的にそのような結論に巧みに導く)学者たちである。少なくとも文化勲章受章者江上波夫は「騎馬民族説」を唱え、小沢一郎氏はその「騎馬民族説」を引用して韓国ソウル大学で講演し「天皇の祖先は朝鮮半島からやってきた」という趣旨のことを語っている。

皇室の先祖はヒミコ(=天照大神)で、北九州の大王であったと思う。その先祖の一族が日向に拠点を置き、其処から神武天皇の東征が始まり、大和盆地で王権を樹立し、本家の北九州の王家の歴史を古事記・日本書紀に反映させたのだと思う。
このヒミコは魏志倭人伝の卑弥呼とは違うと思う。(参考:『日本列島の大王たち』古田武彦著、朝日文庫)

当時倭人は朝鮮半島に進出していて、神功皇后の三韓征伐は北九州の大王の配下の朝鮮半島にいた倭人の活躍があったから成功したのだと思う。