2013年2月26日火曜日

「力」の論理を忌み嫌ってはならぬ(29130226

 「力」の論理を忌み嫌ってはならぬ。但し「力」は万やむを得ないときのみに必要最小限のものを使うようにするべきである。それが武士道である。白鳳・日馬富士などの力士がちびっこたちと相撲をとるとき手加減をする。弱い相手に対してはそれなりの「力」で対応する。それが日本人らしい優しさである。もっとも白鳳も日馬富士もモンゴル出身であるがその言語・態度・行動・習慣等において日本人と少しも違わない。むしろ日本人以上である。彼らには日本に帰化してもらって名実ともに本当の日本人になって欲しいと思うほどである。そういう外国人は最近多くなった。

 一口に「力」の論理と言うとその言葉には武力によって他民族を制圧し「勝てば官軍」という俗語があるように正義は勝者にあるとするイメージがある。日本は先の大戦でアジア諸国に多大の迷惑と苦痛を与えたことは確かであるが「勝てば官軍」の側にあっただろうか?決してそうではなかった。大東亜諸国を欧米列強による支配から解放するという大義があった。事実日本は多大の犠牲を払いながら最後までそういう努力をした。

 再生日本は再び強大な力を持つ国に蘇らなければならない。何も武力だけがその「強大さ」を作り上げる要素ではない。外交・経済・科学・技術・軍事・同盟・資源等の重要な各面において世界のトップレベルに達するようにすることである。その実現のためにどうすればよいか?日本人が持っている創造性・多様性・辛抱・忍耐・努力など特質に加えて日本人が不得手な横の連携・ネットワーク・協同・新しいことへの挑戦などを活発にする知恵を出すことである。公務員は決められた枠組みから外れる仕事をすることが苦手である。その部分について政治家は公務員が自由闊達な発想をし提案することができるような仕組みを作ってやるということが最も重要である。日本人にはトップが旗を振れば皆一丸となって一斉にその方向に向かって行動するという特質がある。

 日本が外交・経済・科学・技術・軍事・同盟・資源等の重要な各面において相手を圧倒するような総合的かつ強大な「力」を持てば尖閣や竹島の問題も北方領土問題も解決するだろう。もし日本国民が国益を守るために一丸火の玉の如くなってそういう「力」を持つべく努力を集中すれば、いずれ日本はそういう強大な「力」を有する国家になり得るだろう。国家は元来利己的なものである。現実の国際社会では国益と国益が激しく衝突する。国益と国益が衝突したとき妥協によってそれは収まる。その妥協の際「力」がものを言う。日本は相手を圧倒するような総合的かつ強大な「力」をもつためにどうしても必要であれば核武装することも覚悟すべきである。これは相手の態度・行動次第である。今、尖閣などでどのようにされても極めて冷静に対応しているが、もしこれに限界があるときやむを得ない。「力」の論理を忌み嫌っていたのでは日本の国益を守ることはできないのである。