2016年4月13日水曜日

20160413「仏教」をキーワードに、思いつくまま綴る(18)―― 何故日本人は他の国の人たちと違っているのか? ――


 下の画像はNHKのEテレの番組『サイエンスZERO』の画面を撮ったものである。
 20万年前にアフリカで誕生し、アフリカから出て6万年前にユーラシア大陸に到達した人類の集団のうち、北に向かった人たちはヨーロッパ人の祖先になり、東に向かった人たちは縄文人の祖先になったのであろう。縄文人の祖先になった人々から、後に分かれた人々の一部は東アジア人や東南アジア人の祖先になったのであろう。(下図参照)

 縄文人はアフリカ人やヨーロッパ人と同じような身体的特徴をもっていた。それは、①縮れ髪、②湿った耳垢、③二重瞼、④彫りの深い顔かたち、⑤ウインクができること、⑥お酒を飲んでも顔が赤くならないこと、などである。

 縄文人は日本列島に辿りつき、其処で住みついた。核DNAから1万個の遺伝子を取り出し調べた結果では、日本人の遺伝子には縄文人の遺伝子が20%ほど含まれていることが分ったそうである。日本で何世代も続いてきた日本人の体の何処かに、縄文人の特徴となるものが20%必ず含まれているのである。1万個の遺伝子の比較では、日本人は東アジア人や東南アジア人とはかけ離れた特徴があることが分ったそうである。(下図参照)

 縄文人の遺伝子が20%しかないのは、縄文人の数が渡来系弥生人の数よりも少なかったためではなく、両者の食料源の差や生存率の差によるものであったと推測される。長江中流域からやってきた渡来系弥生人は稲作(ジャポニカ種)・漁労の技術をもっていた。彼らの男性たちは縄文人の女性たちを魅力的に感じた筈である。現在でも縄文系と思われる女性たちは美人である。逆に縄文人の男性は渡来系弥生人の女性に魅力を感じたかもしれない。

  長江中流域で黄河流域よりも1000年古い文明を持っていた稲作・漁労の民は、北方からやって来た畑作・狩猟の民に圧迫され、一部は雲南省に逃れ其処で滇王国を築き、一部は長江河口から海を渡り、山東半島から朝鮮半島南部を経て北九州に渡り、一部は直接、沖縄・九州南部に渡って来た。滇王国の遺跡からは日本の古代遺跡から発掘されたものと似たものが出土している(羽飾りを付けた人びとが乗ってオールを漕いでいる舟が描かれている)。

 仏教はインドで起こり、シナ(中国)に伝わり、朝鮮に伝わり、日本にも伝わった。しかし仏教はインド・シナ(中国)・朝鮮では圧迫を受けて廃れてしまったが、日本では興隆し、今日に至っている。何故だろうか?

 日本と東アジア諸国との関係は千年の昔から良好ではなく、現在でも緊張関係にあり、千年の後もその緊張関係は続くであろうと思われる。何故だろうか?

 その一方で、日本は欧米諸国と一時期戦争をしたが、その戦争をする前も戦争後も、欧米諸国とは価値観を共有することができている。日本人はヨーロッパ系の人びと・アフリカ系の人びと・東南アジア系の人びと・インド系の人びと等と気が合う。何故だろうか?


 そのことについてはいろいろな学説があるであろうが、私は根源的には遺伝子の特徴の差異があるためではないかと考える。日本人の遺伝子の80%は東アジア人の遺伝子と同じであり、日本人は混血雑種である。この混血の範囲は近年世界中に広まってきている。日本人は2000年以上も続いている男系皇統の天皇を戴いていて、同一の言語・文化を持つ単一民族である。日本人は「和」を大切にし、戦前の国際連盟の場で世界に先駆けて人種差別の撤廃を訴え、世界の国々と共存共栄に力を注いできている。戦前、日本はドイツと同盟関係にあったが、迫害を受けていたユダヤ人たちを救ったのも日本人であった。これらのことは日本人の遺伝子の多様性によるものではないだろうか?





 注:渡来系弥生人については、現在の中国のタイ族(雲南省)・ベトナムのキン族・中国の漢民族(南方)・中国の漢民族(北京)を、渡来系弥生人と同じ人種であると仮定している。